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外国語を学ぶ喜びについて

みなさんこんにちは✿

英語教室「実のなる木」です(^▽^)/

 

さて今日は、私が外国語を学ぶことに喜びを感じるようになった経緯をシェアしたいと思います。誰かの、外国語学習のきっかけになったり、なるほどこういう考え方もあるのかという風に面白おかしく読んでいただけると幸いです。

 

小学校1年生だった頃の私。当時はまっていたのは、「誰にも通じない言葉」を話すことでした。自分で即興で作った"外国語"を話して、家族が変な顔をして私を見るのが好きでした。変な子ですね(笑)誰にも通じないということは、言い換えると「私だけがわかる」ということです。なんだかその秘密めいた雰囲気に、わくわくしていたのでした。他にも、誰にもわからない暗号のような文字を書くことも好きでした。みんなの顔がへのへのもへじになればなるほど、ニヤリとするような小学生でした(笑)

 

そして中学生になった頃の私。この頃は、学校で英語の授業が始まり、なんだかかっこいい音が聞こえるぞということで、興味津々でした。そして、英語というのは、「わかる人には通じる」し、「わからない人には通じない」という特徴があります。それは小学生の頃に「おもしろい」と感じていた、あの秘密めいた暗号の雰囲気と類似したものでした。目の前で同じような”音”として発声されているのだけど、わかる人にしかわからない現象。それって、不思議で面白い現象じゃないですか?少なくとも当時の私はそのように感じたので、ぜひこの言語を学んで、私もわかるようになりたいし、わかる人と日本語ではなく、あえて英語で通じ合いたいと思うようになったのです。

 

その後一生懸命がむしゃらに勉強していきましたが、あるところでネイティブの先生に英語が通じたタイミングがありました。それは夏休みに、学校で英語のスピーチコンテストの練習をしていた日のことでした。私は当時の英語の先生と一緒に小さな部屋で音読練習をしていましたが、たまたまその日、ボランティア感覚で、興味本位で練習の風景を見に来てくださったネイティブの先生がいらっしゃったのです。その先生はアメリカから来て間もない方で、私が住んでいた地域はど田舎でしたので、「(こんな田舎で)ここまで完璧に発音できる子がいるなんて!」と感動していただけました(笑)その時の喜びは今でも覚えています。「あ、やっと向こうの言語が通じる側に行けたぞ」という達成感がこみ上げてきました。

 

大学生になった頃には、中国語も学んでいましたから、英語で通じる人は多いが中国語ではこの人にしか伝わらないという場面があると、わざと中国語を使ってみたりして遊んでいました。他の人からすると、いじわるに感じられたかもしれませんね(笑)💦でも私は、一貫して「通じる」と「通じない」というこの明確な変化を楽しんでいたのです。いわばゲームみたいなものです。この楽しさや、習得する過程での、自分の中で感じる変化を、ぜひ他の方にも体感していただきたいという気持ちでいっぱいです。そういったお手伝いがしたいという思いは、今のお仕事に通じているところなのかなと思います(^▽^)

 

「英語って、何が面白いの?」と英語嫌いになってしまっている子がいたら、こういう楽しみ方もあるよと伝えたいですね(笑)